2014年9月27日土曜日

The Icon of New York The Captain Derek Jeter 「ヤンキース デレク・ジーター引退に寄せて」

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この姿がないヤンキースタジアムは考えられない
この時期、野球はひとつの佳境をむかえます。
日本の野球であれ、アメリカのMLBであれ、それは同じこと。

シーズンのゴール直前は、競馬の「まくり」のようなに意外なチームが力を発揮し
そして次のステージへの切符を手にする。
そんなドラマがこの時期の醍醐味です。

この時期はドラマのフィナーレの時期でもあります。
それは
「引退へのカウントダウン」

ニューヨークヤンキース キャプテン背番号2 デレク・ジーターが引退へ向けて
カウントダウンを迎えています。
現在のチームメイトであるイチロー選手が、アメリカに渡り野手としてのチャレンジを
したのが2001年。
BSでMLBに触れることができるようになり、松井秀喜選手がヤンキースに所属したことで
10年以上ジーターのプレーを身近に感じることができたことは、ジーターが引退する
ことをを受け入れなければならない今、一つの幸福な時間であったのだと感じます。

2001年 その当時MLBを代表する遊撃手として、三人の選手がいました。
デレク・ジーター
ノマー・ガルシアパーラ
アレックス・ロドリゲス

ボストンひいきの私にとっとは、ガルシアパーラを応援していたのですが、いかんせん
怪我の多いプレーヤーでした。ボストンを背負う存在にはなりえず、2004年のシカゴ
へトレードされます。
皮肉なことにその年ボストンは86年ぶりにワールドシリーズを制する
ことになります。

アレックス・ロドリゲスについては、三人の中で一番「肉体的な資質」に恵まれた
プレーヤーであることは、誰もが認めるところ。
しかしながら、薬物に頼りそれを認めず晩年の汚し、自らのキャリアに泥をぬりました。

そんな二人が時の流れとともに、輝きをうしなう中、ジーターだけは輝き続けました。
ニューヨークというプレッシャーのキツイ場所でも、自らを見失うことなく、その振る舞いは
「優雅」
の一言。
日米問わず、野球選手に欠けがちな
「品位」
をジーターには感じたものです。
数々のドラマを演出してきたジーターは決してみずからをひけらかすことはなく、チーム
を優先。
言葉よりプレーでチームを鼓舞しし続けたプレーヤー。
その点も私にとって宿敵のキャプテンでありながら
「たまらない」
存在でした。

昨日は、ジーターの地元ニューヨークでの最終戦。
ここでも一つの時代を築いたニューヨークの象徴は、映画のようなエンディングを見せて
くれました。
「こちら」
自らの幕引きにこれほどの舞台はなく、そしてその舞台で当たり前のように
結果をだして見せる。
男はかくありたいと思わせてくれる存在でした。
ジーターのいないヤンキースなんて・・・

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